ひよっこブログ

やわらかいいのち

いけないことかい

こんな世の中だものポジティブでなんていられないしネガティブであるべきだとすら思う。

私は思考停止して人生が豊かなものになるよりは些細なことまで考えて苦しんで死んでいく方が幸せだと思う。幸せの定義的にはそれは幸せじゃないのかもしれないけれど。

今のこの死にたい気持ちがどうでもよくなるような嘘みたいな悲劇が私たちを待ち構えている。事故病気人災天災死別、明日はどうなるかわからないからせめて今日は楽しく生きようだなんて思えない。そのときが来るまでに考えなきゃならないことがたくさんある。そして人間だもの、来たる不幸に怯えるのは自然なことじゃないか。そんな風にこの世の全部が自分と連関し合っているって実感しながら生きることこそが生きてるってことなのでは。欲望に忠実に不安を忘れて生きるのは一見世界を自分のものにしているように見えるけれど、その場合あくまで世界は対象でしかない。私はただの個体で究極にひとりぼっちの動物だ。

そうではなくて私が世界から構成されているように。常に私が私以上のものであるような、流動的だけど私を超越した何かが私を巻き込んでいるような絶対的な感覚を持てる生き方をできるようにならなければという義務感に駆られている。だから安易にポジティブになるのは私にとっては負けを認めたようなものだと思う。常に不安に苛まれているくらいがちょうどいい。