ひよっこブログ

やわらかいいのち

死ぬ気生きる気

吉野弘の『I was born』は少年が「生まれさせられた」という被害者意識を持っていることで、親が自分を犠牲をはらって生んでくれたという事実に対する罪悪感が必要以上にこみ上げてきて、自分の鬱屈した感情とそれに酔いしれてはいけないという責任感の狭間で葛藤するという内容の詩ですかね。決して「生まれさせられたとあなたは思ってるかもしれないけど、お母さんは命がけであなたを産んでくれているんだよ、(だから生まれさせられたなんて思わないで)」というメッセージがメインの詩ではないと思うんだけどそう思ってる人がちらほらいる気がする。現実に絶望するとなんで産んだんだ、と親を責めたくなる気持ち、自殺したくなる気持ちが生まれてくる。しかし親を前にすると何も言えない。死ねない。死にたい気持ちはこんなに大きい、たくさんの先祖が頑張って生きたおかげで私は生まれてきた、なんて気にしてる場合じゃない、今すぐここから飛び降りないと気が狂いそうだ、そう思ってもやはり親は裏切れない。親に対する感謝の気持ちが自分を思いとどまらせるというよりは、子供としての責任感によるものだと思う。私はこの詩の「少年」のような境遇ではないものの20年以上生活の大半を私のために費やしてきた親に罪悪感を抱いているがために辛い気持ちを自殺や堕落で解決できない。親がいなかったらとっくに大学辞めて水商売でもやってたよ。『I was born』の良いところはそんな「葛藤」が描かれているところだと思います。お父さんも少年の疑問をきちんと受け止めて共感した上で少年と一緒に葛藤しようとしたのではないかと思うなあ。